Special Interview

日清食品ホールディングス
健康科学研究部

古橋麻衣

食肉需要が急速に拡大する次世代──
持続可能な培養肉が食糧危機を救う

大豆ミートなどの植物性代替肉が身近になるなか、
牛の細胞を培養してステーキ肉の作製に取り組む
企業研究者がいる。持続可能な夢の肉は実現できるのか。

ミンチ肉ではなくステーキ肉
それには筋組織が必要だった

 牛がゲップをすると地球温暖化が進む─―。そんな悪い冗談みたいなことが、現実に深刻な事態を生んでいる。世界には15億頭の牛がいて、1分間に1回吐き出されるゲップにはCO2の25倍の温室効果があるメタンが含まれているのだ。牛の飼育がそんな環境問題につながるなんて……と驚くものの、牛肉がなくなって困る人は少なくないだろう。むしろ、世界的な人口増加や新興国の経済成長に伴い、食肉需要は急速に拡大している。将来的に供給が追いつかなくなる可能性すらあるという。地球温暖化に食糧危機……そんな問題に「培養肉」の領域から立ち向かう研究者が、日清食品ホールディングスにいる。

「近ごろは大豆や小麦など植物由来の原材料を使った植物性代替肉がスーパーや飲食店で見られるようになりました。こうした従来の畜産肉の代わりとなる代替肉の研究が活発になっています。私は代替肉のなかでも、動物の細胞を体外で組織培養することによってつくられる『培養肉』の研究開発に取り組んでいます」

 そう語るのは、日清食品ホールディングス健康科学研究部に所属する古橋麻衣さんだ。培養肉は家畜の飼育と比べて、地球環境への負荷が小さいことや、広い土地・多量の水や飼料を必要としないなどの利点から、次世代の“持続可能な肉”として期待を集めている。世界ではすでに動物の細胞を培養したミンチ肉を開発し、商品化されている事例もあるが、古橋さんが目指すのは「培養“ステーキ肉”」の開発だ。

「バラバラのミンチ肉ではなく、肉厚で噛みごたえのあるステーキ肉をつくるのが私たちの目標です。そのためにまずは、ウシの細胞をただ培養するだけではなく、一つひとつの細胞を融合・成熟させて『筋肉(筋組織)』を作製する必要がありました。ウシ由来の細胞を筋組織にする研究は先行例がなかったのですが、共同研究を進める東京大学大学院情報理工学研究科の竹内昌治教授が豊かな知見をもたらしてくれました」

 竹内教授はもともと、筋肉の組織を体外で立体的に形成する研究に取り組んでいた。その技術は再生医療や次世代ロボットなど幅広い分野への応用が期待されているが、竹内教授は「この技術を培養肉開発にも応用できる」と確信していたという。日清食品グループと竹内教授の研究室の目指す未来と技術力がうまく合致し、2017年8月に培養ステーキ肉の研究が本格スタートした。

肉好きだからこそこだわりたい
培養ステーキ肉の食感と味わい

 その後、3次元的な組織を人工的に構築する「3次元組織培養」の技術によって平面的だった筋組織の立体化にも挑戦。2019年には世界で初めて、サイコロステーキ状(1センチ角)の大型立体筋組織の作製に成功した。

「しかしまだこの段階では、培養液のなかに食用ではない成分を含んでいるなど『食べられる』状態ではなかったのです。これをすべて食用可能な素材に代替するための研究をこの2年間で進めてきました。そして、2022年3月に『食べられる培養肉』の作製に成功したのですが、これには独自に開発した『食用血清』と『食用血漿けっしょうゲル』が大きく寄与しました」

 食用血清は培養液の素材として使用し、食用血漿ゲルは立体筋組織を形成するために必要な細胞の足場となる素材として使われる。牛由来の成分によって開発された食用血清と食用血漿ゲルはいずれも特許を出願中で、革新的な研究成果であることは間違いない。

「東京大学の倫理審査専門委員会からも承認され、開発した培養肉を試食することができました。食べてみると、畜産肉に比べてまだまだ『おいしさ』の部分に課題があるとわかりました。今後は脂肪成分や鉄分を付与するなどして、従来の畜産肉のような“肉らしさ”を追究していきたいと思っています」

 2017年4月に入社し、この「培養ステーキ肉プロジェクト」と一蓮托生のごとく研究生活を送ってきた古橋さん。もともと食べることが好きで、大学では機能性食品について研究するなど、食品生理学と呼ばれる分野を学んでいた。古橋さんのこれまでの研究過程を聞いていると、食肉に対して深い愛情があるからこそのこだわりのように思える。

「研究を始めてからはお肉をよりよく見て食べるようになりました。従来の畜産肉は、交配したり飼料の与え方を変えたりしながら品質や味を工夫しています。それでいうと培養肉はすべての行程を管理しながら作製するので、衛生管理が徹底できるのはもちろん、たんぱく質や鉄分といった栄養分を自在にカスタマイズできる可能性もあります。培養肉から広がる研究には、まだまだ人類の新たなフロンティアがあると思います。そしてこの研究の第一の目標は、食糧危機の問題を解決すること。十分に食べ物が供給できない現状や未来の課題に対して、化学の力でアプローチするのが私たちに与えられた使命だと考えています」

「培養肉から広がる研究には人類の新たなフロンティアがあると思います」

2019年、世界で初めて3次元組織培養によって牛肉由来の筋細胞を用いた大型立体筋組織を作製することに成功

実験過程では筋組織に電気刺激を与え、筋肉のようにピクピク動くか確認したり、筋組織を活性化させたりしている

古橋麻衣

日清食品ホールディングス 健康科学研究部

2017年、名古屋大学大学院生命農学研究科修士課程修了。大学院では、ポリフェノールと自然免疫の活性化の相関など、機能性食品に関する研究に従事。2017年に日清食品ホールディングスに入社後、同年から開始した東京大学との共同研究、「培養ステーキ肉」プロジェクトを担当。2019年、世界で初めて、牛肉由来の筋細胞を用いてサイコロステーキ状のウシ筋組織を作成することに成功。2022年、産学連携の培養肉研究において日本初となる「食べられる培養肉」の作製に成功するなど、プロジェクトを牽引している。