Special Interview

東京大学
先端科学技術研究センター

稲見 昌彦
教授

「人間拡張工学」でヒトは
新たな“身体観”を手に入れる

テクノロジーの未来は、「自動化」から「自在化」へ。
バーチャルリアリティ、ウェアラブル技術などを駆使した「人間拡張工学」が描く未来で、
身体能力の壁を乗り越えた人間は何を見るのか?

 それは、身体能力に対する挑戦状だったのかもしれない―。ドラえもんが大好きだった少年は、足の速さや力の強さで優劣がつく物理世界のルールに疑問を感じていた。年齢も性別も身体能力もすべてフラットな世界をつくれないだろうか……。そして、たどり着いたのが「人間拡張工学」という新たな研究領域だった。
 「そもそも物理世界には限界がありすぎるんです。人間は、光の速さでは移動できないし、透明にもなれない。タイムマシンはできそうもないし、たったひとつの行動をUndo(やり直し)することもできない。そこで、私は工学の技術によって、物理世界の限界を超え、人間の身体能力をアップグレードしたいと考えたのです」
 そう語るのは、東京大学先端科学技術研究センターの稲見昌彦教授。世界が注目する稲見教授の研究のひとつに「光学迷彩」がある。マントの後ろの世界が透けて見える不思議な光景は、まるでカメレオンか? 透明人間か? SFマンガ『攻殻機動隊』の主人公がまとう「熱光学迷彩」のスーツが現実のものとなっている……。
 「秘密はマントに使われている再帰性反射材。『入射した光を散らすことなく、真っ直ぐに戻す』という特徴を持っていて、交通標識などにも使われている素材です。この特性を利用して、マントに背景と同じ映像を投射すると、見ている側に真っ直ぐに戻る。なので、あたかも私が背景に溶け込んでいるように見えるというカラクリです。私は、生物学的に細胞を透明にするのではなく、光学的に透明人間を実現したわけです」

 工学的に人間の限界を超えていく「人間拡張工学」の舞台のメインは、こうした「サイバースペース」だ。PlayStation VRの登場でますます脚光を浴びるVR(バーチャルリアリティ)の技術は、空を飛ぶ、光速で走る、目からビームを出すといったスーパーマンになる体験を可能にしてくれる。稲見教授の研究の原点もVRにあった。
 「学部時代は、生物学を専攻しながら、趣味でVRを学んでいました。そして、テクノロジーとバイオロジー(生物学)を組み合わせて、それぞれが苦手な部分を補い合いながら、より役に立つシステムをつくれないか……と思い至ったのです。私はこれを『人機一体』のシステム構築と呼んでいます。VRやウェアラブル技術、テレイグジステンス(遠隔臨場感)などの知見を結集して、私たち自身の身体に対する考え方や世の中の見方を変えていくことが私の研究のモチベーションになっています」稲見研究室では、企業との共同研究も盛んだ。近年の代表例といえば、メガネブランドJINSと共同開発したウェアラブルデバイス『JINSMEME(ジンズ・ミーム)』だろう。これは、言わば「見えない自分が見えるメガネ」。眼球運動をセンサーで検知し、疲れや眠さ、集中力の度合いなどを「見える」化してくれるのだという。
 「人間は自分のことが見えているようで、見えていません。JINSMEMEは、第三者の視点で、本人も気づいていない心の状態を知らせてくれるデバイスです。これを応用すれば、教室内の生徒がどれくらい授業に集中しているかを教壇に立つ先生が瞬時に把握することもできます。知覚の拡張も人間拡張工学が実現する未来の形のひとつです」
 さらに、ユニークな取り組みとして注目を集めるのが「超人スポーツ」。スポーツに人間 拡張工学を取り入れ、その研究成果を社会のさまざまな場面で役立てようという挑戦だ。稲見教授は、研究室の枠を超え、学生、社会人、スポーツ選手など幅広い人々に参加を呼びかけ、競技アイデアのコンテストなどを行っている。
 「テクノロジーは、人間にとって負担の多い作業の『自動化』を担ってきました。これに対し、私がめざすのは、人間が本来やりたかったことを可能にする『自在化』です。人間拡張工学がもたらす『自在化』によって、未知の身体観を獲得した人間は、新たなフロンティアを見出すことになるでしょう」

稲見 昌彦 教授

東京大学先端科学技術研究センター

東京工業大学生命理工学部生物工学科卒業、同大学大学院生命理工学研究科修士課程修了。東京大学大学院工学研究科先端学際工学専攻博士課程修了。JSTさきがけ研究者、電気通信大学知能機械工学科教授、マサチューセッツ工科大学コンピューター科学・人工知能研究所客員科学者、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授などを経て、2016年4月より現職。

[問い合わせ]
東京大学 先端科学技術研究センター 企画調整担当
TEL:03-5452-5462

光学的に透明人間を実現した「光学迷彩」。この技術を応用して、自動車の内装に外の景色を投影し、内側から見るとガラス張りのスケルトンカーをつくる研究も進んでいる

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