Special Interview

千葉工業大学
惑星探査研究センター

荒井朋子
上席研究員

隕石の中に眠っている
数十億年前の宇宙を探して

「死んだ後、私はどうなるのか?」。そんな疑問をルーツに、SF映画が大好きだった少女は宇宙の謎に思いを馳せた。大学生になった彼女は、「月の石」と出会い、壮大な宇宙の歴史を紐解くカギを探す旅に出る。そして、宇宙の神秘を解き明かす冒険は今なお続いている。

「月の石」に魅せられ、学生時代からずっと研究を続けてきました。私にとって永遠の神秘である「宇宙」に、この手で触れられるもの。それが「隕石」だったんです。
 ルーツは小学生時代に遡ります。「死んだ後、私はどうなるのか?」。その疑問が原点でした。自分がこの世界に生きていられるのはいくら長くても100年。でも、それ以前に何億年も前から地球はここにあって、何億年先も存在し続ける……。人間はどこから来て、どこへ行くのか? そう考え出したら目が回ってきて、貧血で倒れたりしていました(笑)。
 人類の歴史を超えて、宇宙の起源、そして未来を知りたい。その答えをたぐり寄せるヒントを探るべく、大学は理学部地学科に進学。当時、隕石研究の第一人者と言われた東京大学の武田弘先生の研究室に所属しました。そこで私は「月の石」、つまり月隕石に出会い、大学院の博士課程まで研究を続けることになります。
 天文学に詳しい人ならご存じかと思いますが、「ジャイアント・インパクト説」という有力な説によると、月は、約46億年前の原始地球に火星規模の天体が衝突した際に、破砕された地球の一部と、衝突した天体の一部からできたと考えられています。1960~70年代のアポロ計画で回収された月隕石などを分析することで、そんな仮説も現実味を帯びてきます。

 私は大学院時代、NASAジョンソンスペースセンターに留学し、アポロの月探査で宇宙飛行士が持ち帰った月の岩石試料の分析に明け暮れました。月の岩石に含まれる鉱物の化学組成を分析したり、実験により月面でマグマが冷え固まる速度を計測し、30億年以上前の月の火山活動を解明していきました。世界中の研究者たちが行っているさまざまな研究成果が点と点を結び、線になって、知られざる月の歴史が明らかになっていく……。そんなダイナミックな瞬間を研究者として現場で味わえた至福の時間でした。
 博士課程修了後、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構/JAXA)、国立極地研究所などでの研究職を経て、2009年から千葉工業大学の惑星探査研究センター(PERC)で上席研究員として勤務しています。もちろん、月隕石の研究も続けています。2012年から2013年にかけて、アメリカの探査隊に参加する形で念願だった南極での隕石探査を日本人女性として初めて経験することもできました。現在は、月面探査機「かぐや」が遠隔観測で取得した月面の地質データと、実験室で測定した月の岩石の鉱物データを組み合わせた、月科学の新しい研究手法の確立に取り組んでいます。
 さらに、新たなミッションとして国際宇宙ステーション(ISS)に超高感度ハイビジョンカメラを設置し、長期流星観測をする「メテオ」プロジェクトという壮大なチャレンジにも参画しています。NASAとの共同プロジェクトに尽力できることは、研究者として大きなモチベーションになります。
 学生時代に培った宇宙の知識や隕石の分析技術、そして、新たに取り組むリモートセンシング解析や超高感度カメラを用いた流星観測。これらの成果が点と点をつなぎまだ見ぬ未来図を描くとき、壮大な宇宙は私に何を提示してくれるのか―。今からワクワクが止まりません。

荒井 朋子

惑星探査研究センター 上席研究員

東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。1998年から2004年まで、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構/JAXA)にて開発職に従事。JAXA退職後、国立極地研究所、東京大学総合研究博物館を経て、2009年4月より現職。2012年11月から米国南極隕石探査隊に参加した経験も有する。

2013年11月、NASAジョンソン宇宙センターで行われた宇宙飛行士によるメテオの操作性確認会の様子。

国際宇宙ステーション(ISS)に設置するために開発した超高感度CMOSハイビジョンカメラ「メテオ」。世界初となる宇宙からの長期流星観測実現をめざし、2016年3月に打ち上げ。

米国南極隕石探査隊に参加したときの様子。裸氷帯と呼ばれる、氷河が雪に覆われず氷が露出する地域から8週間で約400個の隕石を採集することに成功した。

※インタビュー内容は取材当時のものです。