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常識

この間、前々から気にかかっていたことが、大学の講義中に、
ふっと頭に浮かんで、思わず言及してしまったのであります。
あれは、「マイブーム」がやや下火になった頃だから、
7~8年前かも知れないけれど、高校生と話していて
「それって“常識”じゃん」と言われたときのこと。
彼女の言う“常識”ってヤツが、どうしても、彼女独特の世界観に
基づくものであったことに違和感を覚えた記憶があります。
それ以降、中学生や高校生が使う“常識”って言葉に
何か敏感になった時期があって、彼らの使う言葉から、
中・高校生の世界が自分を中心とした非常に狭いものになっているだけでなく、
彼らを取り巻くあらゆるものが彼らの小さな境に収束していく感覚を
感じてしまったのであります。それで、彼らの“常識”は、
徐々に堅固な柵を固めはじめて、非常に排他的なエリアを構築し始めた……。
壁でなかったのが、せめてもの救いだったかも知れないけれど、
彼らの世界に入り込む困難さとコミュニケーションをとる上での得体の知れない
痛みを感じた訳です。
当時は、「オレも歳をとったのかなぁ?」って感じてたけど……。

で、ここ数年「常識」って言葉が使われる機会が減ったと思いませんか?
学校を取り巻く世界でも多くのクレーマー
(モンスターペアレンツって呼ばれてますけど)の行動って、
どう考えても「変」としか言いようのないことが多いし、
世間で騒がれることも良く考えると「変」なんだよなぁ。
ちょっと前なら「お前、アホちゃう?」といわれた感覚が、
平気でまかり通ることがあまりにも多くなった気がするのは、
ボク・西山だけなのでしょうか?
きちんとした許容範囲内の「社会化」がなされないまま、
社会に出され、親になって子どもを育てる……。
やっぱり、子どもは悲劇なのではないだろうか?
つまり、一昔前(いや、もう二昔前かもしれない)なら、
大人のして備えておくのが当然であった「常識」を身に付けていないままに
「大人」として扱われている……。
そして、そのことに言及することで、
その親たちから攻撃される危険を感じてしまう
(要するに、彼らのアイデンティティを揺るがす訳だから、正直、めちゃ怖いです)。
こんな、ことの繰り返しで、
「常識」って言葉が死後になっていくのは、社会としてどうなんだろう?って
非常に素朴な疑問を感じたわけです。
 そこで、みなさんにお聞きしたいのですが、
最近、本来の意味で「常識」って言葉をどのくらい使いましたか?
どんな場面で、そのように使いましたか?

コメント (2)

チャイ:

毎回読ませていただいてますよ~。

そういえば「常識」ってことばを聞かなくなりましたね。
振り返れば、私自身常識を意識しないで生きてきたので、あまり使わなかったようです。

かつてはとても便利なことばだったのでしょう。
それが逆に時流に合わない不便なことばになってしまっているとも感じます。

大学とは学問と真理探究の場。
そこには必要不可欠な機能として備わっている「常識」があり、大学入試はその「常識」の初歩を体得する手続きでもあったと考えられます。
ってことは、大学内でも「常識」が機能しない状況が日常のものとなってる?

西山さんは教壇に立って、そのあたりをどのようにお感じですか?
ぜひお聞かせください!

タンク:

浅薄な相対主義が横行している感じがありますね。

「アナタの常識が、ワタシの常識とは限らない」
「人間の考え方は千差万別だから、Aという考え方とBという考え方に優劣をつける絶対的な基準はない」

「欧米化」が絶対的な価値とされていた時代なら、相対主義にも意味があったのでしょうが、やはりスカタンの言うことには10円の価値もないという「常識」を今一度見直す必要があるのだと思います。

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2008年11月04日 15:32に投稿されたエントリーのページです。

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