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野菜炒め

最近、保護者会の講演でネタにしようとしていることがあります。
「生きる力」の育成が、昨今の教育における様々な場面で話題に
されているけれど、「生きる力」って何なのかな?
キャリア教育に関わっていながら、こんなことを疑問に思っては
いけないのかもしれないのだけれど、なんだか定義があいまいだし、
個々人の受け取り方にものスゴイ温度差があるんだよなぁ。
「人間の社会化」が教育の本質なら「生きる力」ってのは、
「人間の社会化」を支える基礎力なんだろうから、
どこでその芽が形成されるのはおそらく家庭なはず……。
でも、現代の教育における問題点として、家庭や地域の教育力の低下があって、
本来、学校外で形成されるべき人間としての基礎力自体、
不十分な状態で子どもが学校に入学してくる現実に、
本来負うべき学校の機能が圧迫されて……
おっと、話のベクトルが、大学での講義に向いてきちゃった!
(でも、こっそりブログ読んでるS音大のカワイイ君!
こんなのいつもの講義の序の口だよね。
レポート22日までなので、さっさと仕上げなさい!)

で、何をネタにしたいかと言うと

「お宅のお子さんは、野菜炒めを作れますか?」ってこと。
ふた昔前位に、家政系の学生がりんごの皮を剥けないってことが
話題になったことがあったけど、学生を揶揄する風潮が強いのに、
その学生を育ててきた家庭と社会に関しての批判って弱いし、中途半端だよね。
特に政策面に関する責任の追及と当事者である世代に対するケアに関しては、
何の解決策も提示されないし、結局無抵抗で育てられてしまった
子ども達への一生涯に渡るケアなんて、話題にも上らない……。
最近の学生は、少子化の中で甘やかされ、
さらに「ゆとり教育」の下で学力の低下もはなはだしい……、
こんな声は、至る所に転がっていますよね。

でも、そんな大学生を育てたのは、誰なのかな?
そんな子育てを良しとした社会を支えてきたのは、誰なのかな?

偏屈でわがままで本質論が大好きなボク・西山は、悩むわけですよ。
学生や子供たち、そして教育に対する、上から目線の論評には
ウンザリしているんで「野菜炒め」の出番なんですが、
ここでは大切なネタばらしはしません(ゴメンナサイ)。
保護者会でよく話題になる受験期の親子の関係や、
保護者の関与の仕方といったことに絡めて保護者の方々お一人おひとりに、
自らの子育てに関して改めて概観していただいて、
その上で仕上げ段階に差し掛かった子育てをどのようにしていくか?を
「野菜炒め」を例に展開できないか……と思っている次第であります。
極々一部の方に限られてしまいますが、
もし保護者会で「野菜炒め」の話をし始めたら、ちょっと期待してみて下さい。

コメント (1)

タンク:

甥などを見ていると確かに若い世代は思考力や消化力、生命力が落ちている感じがしますが、客観的な世代間データ、事実検証はないですか?あったら紹介していただきたいのですが。

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2008年10月24日 15:25に投稿されたエントリーのページです。

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