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「多様化」と「大衆化」の中で、大学は変化を続けています。

■大学の変貌は、大衆化による「進化」。

 大学の「多様化」と「大衆化」が叫ばれ、大学進学率の上昇と共に大学そのものが変化してきました。1991年の大学設置基準の大綱化による規制緩和が、さまざまな大学の姿を生み出したといえますが、それは時代の要請と少子化社会における大学のサバイバル競争の結果ともいえます。
 そもそも大学とは、学校教育法第五二条において「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」とされていますが、現在、この古典的な定義に合致する大学は、果たして何校存在するのでしょうか。

 教育社会学者の喜多村和之氏は『現代の大学・高等教育』の中で「日本で大学とは、学校教育法の規定により、大学設置基準に従って設置認可され、『大学』と称することを許可された教育制度のことであるとしか規定し得ない。これは、裏をかえせば、大学という組織や制度はすでに一般的な定義ではとらえがたいほど多元的な学校になってしまっているということである」と述べています。

 つまり、現在の大学の姿を見れば、一口に「大学」と言っても多種多様な学生層を対象に、多彩な目的を持ち、多様な財源を基に運営され、当然、設置形態も水準も異なる学校が「大学」という名称だけを共通に存在している、といえるのではないでしょうか。しかし、このような状況・変化した大学の姿は、「大学の大衆化」という時代の変化の中での一つの進化の形ととらえることができます。


■大学の「進化」は、社会性の芽生え。

 時代の流れの中で改革を行い「進化」してきた個々の大学は、「研究重視型」「教養重視型」「実学重視の職業直結型」さらには「研究と教育の両面追及型」など目的や方向性を異にしています。

 しかし、この状況の中で共通しているのは、少子化社会における学生の確保であり、この点に端を発した大学の質的な変化ではないでしょうか。つまり、1970年代のアメリカの大学の変化に対するD・リースマンの指摘と同様、教授主体の研究中心主義から学生本位の教育中心消費者主義への転換が余儀なくされた結果といえます。

 一方、保護者層における大学教育へのニーズが変化した点も見逃せません。我が国の高学歴化社会の先駆者として生き抜いてきた世代にとって、わが子の教育における大学のとらえ方は、それ以前の世代とは大きく異なります。自らは、大学という「場」に存在することで満足した世代が、「場の環境」をわが子のために吟味し始めてきているのです。

 50年、100年を単位とする教育の世界の中で、大学は、社会的な存在として自らの存亡をかけて積極的に「進化」の道を選び始めたといえるのではないでしょうか。
 次回は「大学の進化」を時系列を追って詳しく紹介します。

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2007年07月05日 09:31に投稿されたエントリーのページです。

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